「アトリエトア」について
アトリエトアのお客様でもある文筆家の高原たまさんが、今回の展に向けて、
「アトリエトア」とその店主である五十川裕子さんについて、書いてくだいました。
読んで頂くことで、一歩、アトリエトアについて知って頂けるかと思います。
わたしたちは裸では生きられない。
食べることは生きることといわれて久しいけれど、「何を着るか」ということは、
時に食べ物以上の切実さをもって生きることにつながる。
目の前の人にはじめて会った瞬間から、その人が身につけるべき服をまとった姿が
ありありと見えてしまう五十川裕子さんという女性がいる。
彼女は『アトリエトア』の屋号で長崎にて十五年以上生活道具や服をあきなう
対面式の店をつづけ、去年からは同じ屋号のまま店舗をもたない
パーソナルショッパーになった。
五十川さんは嘘がつけない。相手にふさわしい服しか勧めない。
目利きの彼女なら流行の服をべらぼうな数売ることだって
そう難しいことではないだろうに、ぜったいにそれをしない。
果敢に世界中をまわり、各国のデザイナーと直に対話しながら最高の服を集めて、
それらをふさわしい人のもとへ誠実に届ける。
五十川さんが提案する服には、それまで日本に入ってきていないブランドもあれば、
あまたのウェブショップでも目にするようなブランドのアイテムも含まれている。
けれどブランド名こそ同じでも、その世界はトア流にまったく新しく構築されている。
中には、過去の作品を今期の生地で復刻してほしいなどという、デザイナーにとって
暴力的ともいえるリクエストが叶った服もある。
デザイナーは彼女のセンスのよさと服への理解力の高さに敬意をはらって、
快諾せざるをえなくなってしまうのだ。
「この服はあなたにふさわしい」ということを、五十川さんはあまりにも迷いなく
あなたに伝える。服は見たところいたって「ふつう」のようだけれど、
気軽に手を出せる値段とはいいがたい。
おまけにいつもなら選ばないサイズであったりもするので、あなたはすこし戸惑う。
ところが袖をとおしてみて/羽織ってみて/履いてみて、もっと戸惑うことになる。
この服はなぜこんなにも着心地がいいのだろう。
そして自分はなぜ、さっきまでとは違うこんなによい佇まいをしているのだろう。
半信半疑ながらその服にわずかな希望を感じとり、おもいきって買ってみる。
しだいに、その服を着ている日は「なんだか素敵だ」とやたら褒められるようになる。
服が、ではなくて、あなた自身が素敵だと。
「ふつう」に見えた服のもつ静かな美しさは、着れば着るほど自身に潜む美しさを
引き出し、いつの間にか日々の色彩までかわっていることに気づく。
人によっては明日かもしれないし、一年後かもしれないが、五十川さんの予言めいた
言葉どおり、真に上等な服を着る準備がととのったその日はかならずくるのだ。
今回、オンザディッシュで三度目のアトリエトア展がおこなわれる。
着るものをなにから選んでいいか分からなくて途方に暮れているひとも、
さんざん服に溺れて着ることにすこし倦んでいるひとも、
ぜひ一度、足を運んでみてほしい。
たった一着の服によって、それまでの自分の有様が鮮やかに裏切られることの
気もちよさを知るはずだから。
検索結果だけで知った気になることではつかめない、
生きる実感をともなった服との出会いがそこにある。